ネットの低年齢化であらゆる文化が学芸会的な馴れ合いツールでしかなくなった
コンテンツの質よりコンテンツを介してコミュニケーションできるかどうかが重要になった
そりゃ品質も低下するわな "
— Life is beautiful (via asoblab)
(via asoblab)
私たちは千手千眼菩薩のように全知全能である必要はありません。そうなることはそもそも不可能ですしね。私たちの手は二つだけですし、目も二つだけなのです。
だから、二つの手と二つの目をきちんとまともに使えばいいのです。目は「よく観察して、よく考えなさい」ということです。手は、目が見て、感じた通りに、「きちんと行動しなさい」ということです。
ところで、どうして一個ではなく、二個ずつあるのでしょうか。この世には、明るい面もあるけれども、暗い面もあります。両方を「バランスよく、眺めなさい」ということではないでしょうか。幸せなときがあれば、不幸を覚えるときもある。うまく行くときも、なかなかそうは行かないときもある。自分に対して、失望するときも、希望を持てるときもあります。うまく行くからといって、うぬぼれてはいけない。逆に、うまく行かないからといって、ひるんでいてもいけないという意味ではないでしょうか。
自分自身と他人、または過去と未来、事物の表面と中身、現象と本質、幸福と不幸、絶望と希望とを、万遍なく、バランスよく見ることができるみなさんになるよう願います。
さて、手が二つある理由は、一つは「自分のために」、もう一つは「他人のために使いなさい」という意味ではないかと思ってみます。自分だけしか考えない人をしばしば見るときがありますでしょう。本当に残念です。人生を半分しか生きないわけです。人を助けることに熱心な人が一回きりの人生をまともに生きることになります。いつも配慮し、温かい気持ちで、人を助けるみなさんになるよう願います。
話が出たので、手や目だけではなく、耳も、鼻の穴も、二つずつあるというのに、なぜ、口だけが一つでしょうか。どう思いますか。
耳が二つあるのはきっと、甘い言葉だけではなく、厳しい言葉もちゃんと聴く、人の言うことを注意深く傾聴するという意味でしょう。それに比して、口が一つしかないのは「優しい言葉だけ、言いなさい」ということではないでしょうか。
ところで、逆さまに生きる人が本当にたくさんいます。人の言うことは聴かないで、自分の主張だけをする人です。本当に残念です。多くを聴き逃して、損する人です。
みなさんは千手観音菩薩になる必要はありません。ただ、二つの目と手、耳、そして一つの口を、与えられた通りに、使いこなすみなさんになることを願います。
"サン=テグジュペリはこんなセリフを吐く、「愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだ」。名言として知ってはいたが、まさかサン=テグジュペリが、しかも「人間の土地」で述べていたとは。しかもこれ、両想いの男女のことではないのだ。
このセリフは、路を失い、砂漠に墜落して、それでも奇跡的に助かった彼と僚友のエピソードから酌みだされる。航路から外れており救出隊は絶望的だ、食糧は燃え尽き、水は砂漠が吸ってしまった。2人は生きるためにあらゆる手立てを尽くそうとするが、ことごとく失敗する。渇きに声を失い、幻覚が見はじめ、死まであとわずか。2人のあいだに、一種の”希望”のように横たわるピストルが不気味だ。
そこで、残骸の中から一果のオレンジを見つけるのだ。すぐさま2人で分かちあう。そして、死刑囚の最期のタバコのように味わう。そして、進むために、もう一度立ち上がる。同じ運命に投げ込まれ、ピストルやオレンジを前に顔を見合わせることも可能だ。だが、彼らはそうしなかった。東北東に進路をとって、歩き続ける。この名言は、生死ギリギリのところから酌みだされた美酒なのだ。
"— わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる - 愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ること「人間の土地」
— わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる - 愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ること「人間の土地」